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Archive for May, 2010

本読みました。ありがとう!“われわれはどこへ行くのか?”では簡潔に生物歴史学的にみた人類という存在を科学的根拠を基に語っていたように思います。その中で一つ気になったのは、“地球学的人類学”というコンセプト、又は作者の地球を“システム”として考える論じ方です。確かに地球はシステムだと言うのは間違ってはいないかもしれません、ただここで注目してもらいたいのは“システム”の含む意味です。地球のシステム化ということは、地球は法則や定理などによって束縛されている、ということです。これには、予測可能性や規則正しい観測結果ができる、という利点もありますが、逆に言うと例外は存在しない、という事にもなります。例外が多ければ多いほど、地球がシステムだと言う見方には問題が出てきます。また、地球の場合は不完全なシステムだ、と反論することで“地球システム化”を論破できるかもしれませんが、やはりまだ問題が残ります。どこからどこまでの例外をシステムとして許される範囲なのか、という問題です。その定義付けをしっかりとしない限りは地球システム化の議論はなかなか難しいと思います。

またシステム化を認めたにしろ、もう既に私たち自身もその地球システムに含まれている訳ですから、“われわれはどこへ行くのか?”という質問の答えもプログラムとしてその“地球システム”のなかに含まれている事になります。これは自由意志、又は自由の存在に有無に値する問題でもあります。この本を読むにあたって、一番の重点は“システム化”とはそもそもどういう事を意味するのか、という事を問いかける事だと思います。

本でも言っていたけど、一つ面白いのが、地球汚染を悪とする傾向です。少し前に現代ローマ法王が地球汚染を人が地獄へ理由のうちの一つとしてあげました。明らかに分けの分からない提言です。この本の著者も言っていたように、(ある程度の)地球汚染は私たちが生きて行くために不可欠です。息を吸うことやご飯を食べる事、歩く事や話をする事、言ってみれば生きる事自体が地球汚染なのですから。(歩いて虫や草木を踏みつぶしてしまうことによって生物の循環に影響がでたり...)かといって、自殺をすると、自分の生命を傷つけている訳だから、地球と同じ物質からなっているものを壊すことになります。もっと身近に現実的に言うと、自分の死骸を誰かが片付けるために使う化学物質やポリエステルの袋など、余分な資源の無駄遣いになります。カトリック教もここまで適当に自分勝手に“地獄行き”の理由を増やせるまで訳が分からなくなり、誰ももう相手にしてくれないのではないか、とカトリック教徒以外の人はあきれています。

では今日はここまで。また質問等、連絡ください。:)

Issei

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